京都、大阪? どっちやねん(その7)

京と大坂は元来が同根。二つが合わさって「1つのエリア」であり“都”・・これをわざわざ切り取って、別途の地域とした権力者はいない。江戸時代の例を引き合いに出すまでもないが、賢い徳川幕府は、大坂をニッポン経済の中心地として栄える手立てを講じた。

その時代、京と大坂は「上方(かみがた)」として、ひとくくりで表現・捉えられていた。幕末まで遡って・・例えば、京の市中を震撼させた新鮮組も、大坂には無境界に立ち入っている。よく飲み食いし、その勘定を“踏み倒した”というし、人斬りまで犯している・・事実、このペンションと同じ横丁に、新撰組・・近藤勇土方歳三らに狙われ、抜刀に絶命した同心の末裔が、いまも暮らす。(このペンションの近所では、与力町、同心町の町名が現在も使われている)

太閤秀吉、徳川幕府新撰組、その他もろもろ・・いずれにしても、京と大坂に境目意識・・別途エリアとしての意識などなかった。と、断言してもいいのかどうか? 定かではないが(ここで急にトーンが弱くなる“御免!”)・・歴史の習いごととして、ニッポン文化が立ち昇り、発展を遂げるときには、京と大坂に境目意識はない・・近年においても、京と大坂を結ぶ、京阪や阪急の大阪独特の私鉄文化の成り立ちを見れば、ほぼこれに相違ない。

逆に、疲弊するいまどきの日本では・・「京都と大阪・・そんなもん月とスッポンほど違うがな・・」と、相成り申す!!・・といった小理屈をこいていたら、京都在住・女子漫画家が痛いとこ突いてきた・・「しゃ〜けど(こんな泥臭い大阪弁のフレーズの使用はなかったが・・)、ちかごろは京阪より、阪急より、やっぱりJR京都駅とJR大阪駅とちゃうん?(こんな泥臭い大阪弁のフレーズの使用はなかったが・・)」・・

そらその通りや、JR京都駅もJR大阪駅もバカでかい。デカけりゃええちゅ〜もんちゃうけど、これがそこそこカッコええもんなぁ〜・・旗色が悪くなってきた・・まだ足がガクガクする・・旗色が悪いので話題を変えようとしたら京阪七条の駅に着いた。ラッキー!

早々に京阪・七条駅のエレベーターに潜り込む・・京都在住・女子漫画家とは、来週・宇多野ユースホステルに同好の士が集う(「ものがたり観光行動学会」という、至極まじめ、それでいてユーモアを介する学会)の桜の会「お花見」での再会を約束。エレベーター越しのガラス窓から手を振って、惜しくもここで時間切れ・・お別れした・・「ホッ」とした・・つづく

京都・大阪の旅 http://www11.ocn.ne.jp/~pen-lee/   

The LEE Osaka downtown(小さな大阪の宿・大阪の民宿です)http://pension-lee.net/