国立競技場のラグビー

帝京大vs天理大、あまりにいい試合だったのでテレビ中継に見入ってしまった昨日の大学ラグビー決勝。いずれが勝つのか?最後まで手に汗握った。もう昔々の話だが、同志社大学全盛期の両ロックは林、大八木。ひたむきさとヤンチャが名コンビ。この2人の活躍がセンター陣のゲームメイクを可能にしたと言っても過言ではなかった。

昨日の帝京大も、ボンド、マニングの両ロックの献身的活躍が無ければ勝利はおぼつかないゲームだったように感じた。スクラムでの頑強な石の役割−−真なる「ロック」としての活躍は言うに及ばず、ラインアウトも、モール・ラックでも、それに何よりライン防御の第一陣としても。

とにかく早く駆けつけ、早く戻り、天理大の攻撃の芽を、ひたむき一途に摘み取っていた。ラグビーにはこのような選手がいないとアカン。

しかし、それにしても感じるのは、このような留学生選手に対し、ちゃんとした解説が無いこと。つまり、留学生選手らへのちゃんとした評価が我々素人にまったく開陳されないことだ。昨日のNHKの実況放送でも、日本人有力選手の「解説」は多々あったが、この両ロックのひたむきなプレーや横顔には、ほとんど触れられず至極残念。

日本ラグビー界の長期沈滞の理由を再認識させられる思いだった。いまだ鎖国状態のラグビー界。そんなことはないのだろうがド素人のラグビーファンには、どうしてもそう映ってしまう。

似たようなことは地域経営においても同じ。少子高齢が進む日本では都市部から田舎へ「新しい居住者」をどのように迎え入れるかが問われている。その時その場で都合よく迎え入れようとしても、お互いは人間同士。その場しのぎの付け焼刃的手法では、持続性はなくスグにしぼむ。

だれもが、ささやかな夢は持ちたい。地域の側が「その場限りの使い捨てを」振りかざすと、新しい居住者にはよく見える。だからだれも寄り付かない。グローバルなIT社会は逆に泥臭さを求めている。地域経営の継続は、よそ者を人間として認めるところから始まる。泥臭さは、田舎が生き残るための最先端。

帝京大のボンド君、マニング君。この両ロックの素晴らしく泥臭いプレースタイルを見て、そんなことを感じてしまった熱戦だった。

京都・大阪の旅 http://www11.ocn.ne.jp/~pen-lee/   
The LEE Osaka downtown(小さな大阪の宿・大阪の民宿です)http://pension-lee.net/