ジオパーク萌え“抱きしめるジオパーク”

またも三文字ネタ「GGN」。ユネスコの支援のもと、2004年に設立された「世界ジオパークネットワーク」のこと。その活動は・・・「世界各国にある、地層や岩石などのジオ(地球)にかかわる自然環境を含む地域を『世界ジオパーク』に認定し、それらの遺産を保護するとともに、自然と人間のかかわりを理解する場所として整備し、科学や防災教育、観光資源として地域の振興に生かすこと」らしい(社団法人日本観光振興協会・観光とまちづくり2011-2012 vol3、観光ニュートレンド「ジオパーク」から引用)。

世界遺産」なる冠がほどこされた途端、大型観光バスで人がどっと押し寄せ「地域の自慢」が「安物の観光地」に。今夏、ヨーロッパに留学していた知人の話では、フランスのモン・サン・ミッシェッルでさえ、「人がごった返して、あれでは安物観光地」とのこと。最近、まま見られる世界遺産ネタ。通過するだけの“観光客”は、ゴミと糞尿は大量に残すが、お金は“お釣り”程度しか残さない。だからこの種のモノに少々懐疑的だ。

ボクの大好きな大分県豊後大野市が、その世界ジオパークに名乗りを上げたいとのことで、11月19日(土)「ジオシンポジウム」なるモノを企画した。この地には、毎日新聞の旅の連載がきっかけで交流するようになった知人がいる。その知人がシンポジウムで何かしゃべれと言う。二つ返事で快諾した。壇上パネラーの一人と思っていたからだ。ところが、基調講演だった。

当日の事前打ち合わせで、阿蘇火山博物館館長の池辺伸一郎先生と熊本大学名誉教授(火山地質学)の渡邉一徳先生に「世界ジオパーク」についていろいろと教わった。すると、「世界遺産」とはまったく異なっていた。世界ジオパークに認定されることで地域の生活が棄損されることになるなら、認定は無い。むしろ、これまで継承されてきた「自然環境と一対の生活」が、さらに積極的に一対となり(ありていに言えば、観光開発によって環境破壊をもたらさない)、これをどのように維持・継承させることができるのかが、認定の大きな基準となるらしい。

豊後大野市は市域のほぼ全域が、何万年も前の阿蘇の大火砕流によって形成された地質の上にある。それは、特徴的な滝になり、川になり、大きな石仏になっていたりする。スライド説明を受ければ、それらが市域を抱くように存在し、地域の生活者は大火砕流でできた大地を無意識に抱きしめ、豊かで特徴的な生活を営んできたことが明らかだった。温泉世界の大分でも、まったく温泉が無い。もちろん有名観光地など何もない。しかし、田舎の暮らしが営々と守られている「なんにもないがニッポンがある」・・大火砕流の大地は、いつしか「ニッポンを代表できる豊後大野の営み」に優しく包まれていたわけだ。専門家の大先生お二人から、そんなことを聞いてしまったらボクは何も語れない。さて困った・・

ここは、正直に思ったことだけを淡々と語ろう。それは、ジオパーク“萌え”「抱きしめるジオパーク」という内容だった。300人収容の会場はほぼ満員。観光という大義名分で地域の価値を棄損することなく、コツコツと高められている地域のモノづくりを「主」、それらを販売拡張するための観光的な広報戦略を「従」。地域がモノづくりで潤えば若者の就労者が増える。観光は勝手に付いてくる、と。会場を埋めた市民、最前列に陣取った専門家のお二人も、うんうんと優しくうなずいてくださった。観光・観光と唱えても、はかない観光客だけが増え、地元は衰退する。ジオパークという世界ブランドに踊らされることなく、逆に抱きしめるだけの迫力と根性を。豊後大野に求められる世界ジオパークとは、「抱きしめるジオパーク」と確信した。