メガバンクの目に見えないサービス

ツーンと匂ってきたサロンパスのニオイ。あさ一番の機械式銀行窓口にしては似つかわしくない匂い。操作に気忙しい指先とは裏腹に、そのサロンパスのニオイが気になる。

「わからんことある」・・と、三・四台向こうの“札びら機械”のあたりから戸惑いがちな声がする。札びらと小銭を今まさに出し入れしているボク自身の指先が気になるが、顔をあげ向こう側を窺った。左手首にぐるぐると湿布薬、札びら機械には杖が立てかけられている。作業着姿のおばあちゃんが、札びら機械の前で右往左往している。自分のをほっぽって「どうしたんですか?」と、近寄った。目も不自由で機械に不慣れ、“札びら機械”の操作が無理なことはだれが見ても明らかだった。

そのメガバンクの1階は機械ばかりが10台以上、銀行側の人間は人っ子ひとりいない。有人対応は2階・3階と階段で駆け上がる(エレベーターもあるが分かりにくい所に位置している)。このサロンパスのニオイ、昔よく嗅いだ。オカンと一緒のニオイや・・腹が立って階段を駆け上がり「あんたら、ちょっとは見たりや!」、窓口の向こうにいっぱい並んでいる銀行員に(ただし、この人たちでさえ、いったい何人が正社員か?)気づいた時には怒鳴りこんでいた。

一件落着はしたが、銀行側の説明では、札びら機械の前に係員が常駐するのは10時以降とのこと。そやったらなにか、10時前までは客が困ってても知らん顔か、え、え、え、どないなこっちゃ(ちなみにインターホンで対応を求めたが、誰もやってこなかった)。パート代金の一時間分、たった千円ほどをケチるのかメガバンクさん。アホくさ。

なんでもかんでもグローバル化、省力化の昨今、その場面に立ち会っている人が判断を下し臨機応変に対応することは「悪」。自分なりの判断や行動は「ダメ」のケッタイな社会が出現している。特に、省力化が著しく進んだ大手金融や通信大手など「グローバル化」が叫ばれて久しい業種では、グローバル化を口実に(このような)とんでもないモラルハザードが日常茶飯事。人となりの「あたり前のサービス」が激しく劣化した。

「見えないサービス」に甘え、人間が人間ではなくなると、人間が本当に見えなくなる・・気持ちの悪い社会だ。

目に見えないサービスの本意は「かゆい所に手が届くサービス」。目に見えないサービスが「文字通りそのまま」になった社会は、本当に薄気味悪い。これに最近では、クラウドなるモノがのしかかる・・アッチャー・・

人間界の手掛かり、足がかりはどこまで消えてゆくのだろう?