29800円の海外旅行 その8

20年ほどですっかり様変わりすること。それは中国の専売特許ではない。高度成長期や1980年代後半から1990年代にかけてのバブル経済期の日本でも、とんでもない様変わりが日本列島の至る所で展開された。私があっちこっち旅に出かけはじめたのは昭和47年(1972年)春以来のことだが、その当時訪ねたところを再訪すると、人工美がモリモリと塊のようになってスカタンな進化が多い。

また、フランスの世界遺産モンサンミッシェルを近ごろ久々訪ねた友人の話では「昔の静謐な面影はすっかりなくなって、エライことになっとるで」との由。経済発展が進むと、過大に過ぎる構造物で観光地を厚化粧することになってしまうのは古今東西、人間社会の習い。この学習の先にある「薄化粧の答え」を、人類は見つけることができない。

バブルに踊ったギリシャ一国の不安を取り除けず、ユーロ発の世界恐慌への危機が迫っていると報道されているが、観光地の厚化粧は、その国ごとにもっとも早く現出する「リトマス試験」のようなもので、観光地はリトマス“試験紙”のようで、ひ弱だ。そのような意味で、「観光」を定点観測するとビジネス社会の「いま」が分かりやすく明快に表れる。バブル期の日本はゴルフ会員権ビジネスや異常なリゾートマンション熱に踊り、日本の美の至る所を痛めつけたが、それは立派なリトマス試験紙だった。

中国の話に戻ろう。この日夜は蘇州で観光船に乗った。その航路は、北京と杭州とを結ぶとてつもない運河、京杭大運河のようだったが、ミスター・チンの詳細で明快なガイドと打って変わって、もう一人のへたくそなガイドにこの時だけチェンジされ、やたらに不案内で不遜。このガイドは正確にこの川の名前を説明できない(とにかく、膨大な数の水路や川、湖沼の数である)。しかしこの観光船は、大した歴史ルートを走るわけでもなく、運河独特のゆったりした水量の川を直線的に訳もなく速く走っていたのでそう思った。

小一時間のナイトクルーズを終え、2泊目も無錫日航ホテルに戻った。近くのネイティブなコンビニでコーリャンのニオイあふれる中国焼酎の小瓶と、しなびた落花生の大袋をひとつ買い込み、デラックスなホテルの客室で原発を遠望しながら、ちびりちびりと一本空けた。酔いがまわってきた。大きなガラス張りのバスルーム、シャワーを浴びて、寝よっと  つづく