29800円の海外旅行 その7

中国の観光地はこの10年で良くも悪くも劇的な整備が進んだようだ。もっとも進化したのはトイレ。観光地のトイレというトイレは、みなピカピカ。汚いトイレは一切なかった。というよりも日本の観光地のトイレなど足元にも及ばず、よっぽどキレイところが多かった。有名観光地の公衆トイレを注意深く観察すると、トイレ横に管理人室のような小部屋があり掃除人が常駐している場合が多い。常時掃除のシステムでピカピカというわけだ。ニッポンでも見習ってほしいシステムだ。

欠点といえば、観光地に「手が入りすぎ」なこと、この一語に尽きる。蘇州の世界遺産のあれこれ等がその筆頭だったが、どこまでがオリジナルで、どこからが「エイジング加工」されているか・・頭がパニック。オリジンとエイジングが見事に入り乱れ、なにがなんだかさっぱり分からない超ミラクルが展開されている。そこに、中国人観光客が押すな押すなと入り乱れる。自国の観光地で誇りを確認増幅させるチャイニーズの大声と、それに負けまいと大声を張り上げるミスター・チンのガイドぶりに、タダただ感心しきり。この仕事っぷりには本当に頭が下がる。

周庄(中国読みでは「ジョウジュアン」みたいに呼ぶらしいが、発音が難しいのでよくわからない)という、水郷地帯に忽然と浮かぶ観光地にも立ち寄った。ここは、atという建築系のアートな雑誌(すでに廃刊)1991年3月号で、ベネチュアなど世界の水辺建築に詳しい法政大学教授の陣内秀信氏が、自身の研究室の法政大学大学院・上海同済大学研究生(肩書きは、いずれも当時)の高村雅彦氏にレポートさせている「水郷鎮」だ。

「鎮」とは、農村の政治・経済・文化の中心で中国の行政単位のひとつ。都市よりもっと小さな、農村地帯の「核のような街」といった具合に紹介されている。このレポートでは周庄の当時の水郷風景が魅力にあふれた数多くの写真で紹介されている。「建築」は見事に「保存」されいた。しかし、何かがおかしい・・そう、近年の圧倒的な観光政策で、この「水郷鎮の生活」は、ほぼすべてエリア外に取り除かれ、生活感ゼロの無味無臭。魅力的な「建築」の一階部分は、どこもかしこも同じものを売っている「みやげ物屋」ばっかり。

水郷を行き交う手漕ぎ船でさえ、その全てが観光船。わずか20年前、高村雅彦氏が紹介した凛々しく愛おしい生活者も、水辺で遊ぶ子供たちの姿もすでにない。たった20年の歳月がこの水郷鎮を「ゲート入場(料金を払って入場する仕組みになっていた)」する、ただの「水郷テーマパーク」に仕立て上げたようだ。団体バスのゲート前駐車場は巨大で、1350〜1360年代からの歴史と水郷風景を今風にリセットさせている。20年前まで確かにあった40ヘクタール、2000人の生活は、テーマパークと共に「お土産屋さん」に化けていた。

「水郷テーマパーク」の外に、新しくも「くすんだ居住エリア」が整備されていたので、20年前の水郷鎮の生活はこの間、一気に機能転換させられ、極端な観光地化が進んだことが容易に想像できる。都市機能の転換が進まず政策の大胆さに欠ける日本だが、観光政策によるビフォー・アフターをここまで鮮明に見せられると、政策の遅滞もまんざら悪くもないような気がしてくる。

ここ周庄は、蘇州からわずか30キロ余り。しかし当時はその湖沼の多さが災いし車で3時間もかかったという。いまは45分程度。この水郷鎮の街並み観光の中心は「沈庁」という併用住宅で、沈万三や沈本任ら、この水郷鎮の繁栄を「水郷風景」にまでは高めた「猛者の商人」の(水郷鎮を治めるための)拠点住宅だったらしい。ここは、立志伝中の邸宅だ。もう、なにがなんだか中国人観光客で身動きがとれない。ミスター・チンはここでも中国人ガイドと戦っている。日本からの観光客(私たち)に、いい位置取りとガイド音声に気を使う。疲れるやろな・・

周庄をあっという間に「観光」し、バスは蘇州へと向かった。蘇州の中心部に入る直前でまた、スリーマイル島のあのシルエットを見かけた。無錫で見たのと同じカタチの原発がすぐそこにある。一家にひとつ・・中国では大きな都市のすぐそばに必ず原発があるようだ。それも威風堂々、逃げも隠れもしていない。日本とはあまりにも違う感覚に目の前がくらくらし、バスの中から原発を凝視した。つづく