29800円の海外旅行 その5

円筒を押しつぶしくびれさせた、できそこないの巨大な瓢箪状の原発のシルエットは、アメリカ・スリーマイル島の事故報道以来、見慣れた姿だったので、すぐに「あっ、原発」と気付いた。しかし、「できそこないの瓢箪」がホテルからすぐ手の届くような目立つところに堂々とあったので、一瞬目を疑った。

この日は無錫の「太湖」観光だ。琵琶湖の3倍の大きさという太湖は、ホテルにほど近い。よく整備された湖周道路に面して観光船の小さな港が整備されている。景観が優れているということで、高級戸建住宅や要人の別荘などもあるようだ。観光港には100〜150人程度を乗せることが出来る観光船が何隻もつながれている。中国人観光客の人波が押し寄せるたびに、乗客を一杯に乗せた観光船が、すぐ向かい15分程度の湖上にある小島に向かう。

無錫は昔「有錫」といったらしく、その名の通り錫の産地で勇名をはせたという。しかし、その豊かさを聞きつけあまりに膨大な数の人が押し寄せるので、ある知恵者が錫は枯渇していなかったが「無錫」と名付け、そのネーミングで人々を蹴散らしたらしい。

錫の有無は別として、中国の人たちの中に混じって見る太湖クルーズは景観の「ゆったり感」と、豊かになった「中国人民」の幸せと自信にあふれた表情が、とても印象的だった。白人観光客の姿は一切見えず、日本からの観光客もわずか。例えるならばレジャー勃興期、昭和39年の東京オリンピック前後の琵琶湖・浜大津港で町内会や職域のツアーがごった返す、といった風情だ。

なんといっても匂いまで似ている。富栄養化が進みミクロキスティスの個体数が増えると「アオコ」が発生する。琵琶湖は高度成長期、このアオコに襲われ、流域の水道水もこの匂いに悩まされた。その匂いが、ここ太湖にも満ちている。子どもの頃の体験にあったニッポンの高度成長期、そのニオイに驚いた。

それにしても、観光船で見た中国の人たちの「ゆったり感」にはホッとさせられた。あんなに大勢の「集団観光」はニッポンではもう「歴史教科書」にだけ存在する社会風俗だ。いま、ニッポンの観光政策が、ただひたすら中国に向けられ、数の規模だけを追っているように見えるが、この情景を見て妙に納得してしまった。確かにこれだけの人たちをニッポン観光に差し向けることができれば、日本は儲かる? いや、所詮芸無しの観光無策か? つづく