四つ竹と笛と太鼓と傘踊り

6月になると、いよいよ天神祭の「傘踊り」の練習が始まる。平成6年春、天満の天神さんのすぐ前に引っ越してきたころは、まだまだ郊外ニュータウンの時代。この付近の小学校は学級数も少なく、必然的に子どもの数も少なかった。だから「傘踊り」の行列に参加したいと申し込めば、子どもであれば誰もが参加できた。

ところが10年前頃から近所に超高層マンションが猛然と増え、児童が増加。それは小学校の校舎を増築しなければならないほどのものだった。天神祭の「傘踊り」に参加したいという、ちびっ子も、オットットと目を丸くしてしまうほど増えた。そんなことで、事前の抽選で「当たり」を引かないと傘踊りには参加できなくなったが、祭りのハイライト、宮入時(7/25)には、ちびっ子の大行列が大渋滞して、ほほ笑ましい。

その傘踊りの練習が、今年も今夜から始まった。四つ竹と笛と太鼓の小気味よいリズムが、小さなペンションの部屋内にも入ってくる。この音色を聞くと、まだ小さかった三人の子どもが天神さんに走り、大汗かいて傘踊り・・その光景を思い出す。

我が子は成人し遠くで暮らすようになったが、この時期になると「傘踊りのリズム」が耳によみがえってくるらしい。私も似たようなもので、天神さんの境内で傘踊に汗を流す他人さまの子どもを見て、すっかりタイムスリップしてしまうことがある。

菅内閣不信任決議の採決でうつつを抜かしていた政治家たちは、この夏、そんな夏祭りの記憶さえも「消去」させられた庶民の無念さに、心しているのだろうか? 「記憶」を「置き去り」にすることを強要される悲惨さは尋常ではない。

このアホらしい騒動を見て、「祭りの記憶もなさそうな」権力亡者の薄っぺらさに、人間として新種の痛みを覚えた。彼らに、恥という概念はあるのだろうか?