2カ月後の豊後大野

毎日新聞・月曜夕刊(上・下に分け月に2度掲載)旅行欄の連載「旅・まち・発見」はスタートしてからすでに3年目。そのコーナーに3月14日掲載されるはずだった大分県豊後大野への旅。延び延びになっていたが、没になることなく紹介される(上5/9・下5/16)。「ホッ・・」

3/11の大震災と原発事故で復旧がままならないなか、「旅」の紙面など、なんだか申し訳ないような気分で気が引ける。ただし、近ごろの報道では、自粛・自粛とうるさかった大東京でも、「自粛は自粛しよう」との機運だそうだから、「ホッ・・」

それにしても、東京が「大東京」を唱えるのはいつも勝手な東京らしくて気にならないが、大阪でも「大大阪」を唱えてやまない人たちがいることに、少々がっかりする。歴史的には確かに「大大阪の時代」もあったらしいが、これは関東大震災の後、その機能が引っ越してきただけのことで、とりたてて「大阪の目玉」でそうなったわけでもない。ありていに言えば、人の不幸に乗じた大大阪。そんなもん、いらんやろに。ところが、この度のことで「大大阪大大阪」と、少々はしゃぎ過ぎる人たちがいて、なんだか見苦しい「ハァ〜・・」

「♪・・大きいことはいいことだ♪・・森永エールチョコレート♪・・」や「隣の車が小さく見えま〜す」のトヨタカローラと日産サニーの熾烈な争い。テレビコマーシャルが花だった時代。そんな時代が数十年前に確かあったが、いまはそんな時代とちゃうやろ〜に「ハァ〜・・」

適正規模の幸せなど計測不能だが、身の丈に合った幸せはありそうな気がする。大大阪信仰者はそんな「身の丈」をバカにするきらいがあって、少々胡散臭い。胡散臭いボクがそう思えるのだから、彼らのその胡散臭さは本物だろう「ホ・ホ・ホ・・」