大木と新緑の美しい話

一時通っていた大学の部活、ヨット部の艇庫は琵琶湖の柳ヶ崎にあった。その名前からか?三角屋根の艇庫のすぐ横には得体のしれない大木や、ふらふらゆれる柳の大木があった。朝、艤装を終えてヨットと湖に出てゆけば、よくて昼、下手すれば夕刻まで陸に帰ってこない。で、出すもんは出してから湖に出てゆかなくてはならない。なにがなんでも・・

その「どおしても」を怠って、琵琶湖にぷかぷか浮かびながら「した」奴。救助艇の縁にしがみつきながら「して」、その瞬間にホッと気を抜き、湖に落ち、ウ●コまみれにになりやがった奴。そんなんばっかり見てたもんやから、どうしても出すもんは出してから湖に出やんとあかん。そう固く意識していた。

その日は「したかった」。先輩方がトイレを占領していた。で、例の大木の影で「した」。気持ちよかった、事なきを得た。

ところがその日、財布をなくした。それに気づいたのは練習を終え、着替えが済んだすでに夜。仕方ない、落ち込んで帰宅した。翌日、キャッシュカードやクレジットカードを「無効」にと、銀行などに走った。勤労学生だったボクは既にそんなものを持ち合わせていた。落としてしまったことに落ち込んだ。五月晴れが眩しい、いい日和だった。

夏合宿も終わり、初秋のある日の練習日。その日も「五月晴れのあの日」と同じ腹具合。また、大木の陰に走った。「した」。やっぱり気持ちがよかった。ふと大木の幹の上を見た。

「あった!!」五月晴れのあの日、無くしてしまった二つ折りの財布が幹の上にあった。

あの日以来ポケットのケツに突っ込むスタイルや二つ折りの財布は使わなくなった。あの大木の幹に置き忘れた「財布の教訓」。それ以来、財布を置き忘れたり落としたりすることはない。この一件で、ウンがついたからだろう。

五月晴れの日、いつも思い出す大木と新緑の美しい話。