東京と大阪ドームの時代遅れ

子どものころ白熱球ばっかりの家は暗かった。ボクの家でも蛍光灯が購入できるようになり家全体が明るくなったのは昭和39年(1964年)東京オリンピックの前あたり。

このころ街灯はまだまだ少なく、野球場をカクテル光線で真昼間のように明々照らすプロ野球のナイターはまるで夢のようだった。勿論そんな光景は白黒テレビのナイター中継「こちら側」で見た。

大人になり、大ファンだった近鉄バファローズのホーム、藤井寺球場にはナイター設備がなく(昭和40年代後半には設置されたが)代替え的ホームグラウンド、森ノ宮にあった日生球場にはよく通った。日生球場の設備は驚くほどお粗末なもので、ナイター照明も限界一杯薄暗かった。それでもカクテル光線の下で見る鈴木啓司⇔有田修三太田幸司梨田昌孝(漢字表記はいずれも当時)などのバッテリーは素晴しかった。阪急ブレーブスには、いつもコテンパンにやられたが・・

大阪球場を間借りした日本シリーズ。夕闇せまる光景バックに広島カープの江夏投手にやられ、西本監督の夢はついえた。それから何年かすると、日本シリーズは昼のスポーツではなく「夜の屋内競技」になった。その後、プロ野球日本シリーズに限らず、照明抜きには存在しえない屋内競技に落ちぶれた。

ところが今年、プロ野球は少しばかり野性を取り戻した。原発事故の電力事情から「屋外と昼間」にシフトしたからだ。あろうことか・・これに大反対だった巨人までもが元気をもらっている。

高度成長期にみられたアフターファイブ的需要「浪費的消費」は総じて減少、もしくは消滅した。いまは健康志向や時間消費と共にある、ゆったりとした消費に目がそそがれている。プロ野球もそのような消費・社会動向と無縁であるわけにはいかない。高度成長期の熱病のような時代遅れの屋内スポーツ化はもう止めにして、「太陽のスポーツ」に先祖返りすべき時だろう。

ドーム球場の時代遅れに嫌気がさし、甲子園球場のシンプルさに未来的希望を見出す巨人ファンも多いと聞く。