東北・常磐大震災

最初はたしか、東北・関東大震災とかいう命名で違和感の塊。それが改められ東日本大震災と統一されるとはいうが、やっぱり違和感がある。もちろん大東京や浦安も大きな被害を受けていることは知っている。しかしそれでも、今回最も甚大な被害を受けた地域・地方のことを想いいたす時、東日本とひとくくりしていることに大きな違和感がある。

永田町や霞が関という大東京の、あるひとつの小さなムラで毎日垂れ流される情報の枕詞、「このレベルの放射線ではただちに人体に影響を及ぼすことはない・・」。このフレーズを聞くたびに、大東京以外のニッポンは、ただ単なる「大東京の属国」か・・と悲しくなる。

ただちに影響がないのであればプレスリリースそのものは、よりリアルに状況を伝えられる原発のすぐそばで行えばよい。官邸や政府機関の発信者は、毎日の食卓を「ただちに影響は出ない食材で飾り、モリモリ食べる」その食卓風景と共に、「ほらね、ボクも毎日食べてます」と、発信すればよい。ただそれだけのことで、大本営発表は民主政府のプレスリリースとして信頼されるはずだ。

10代のころ、国鉄周遊券を握りしめ旅をした女川や仙台。袋田の滝や日立路。ただすこしだけ、通り過ぎただけの村や町や風景だったが、その一切を「東日本」とひとくくりにされてはたまらない。ニッポンが悲しい。

東京から遠隔操作するだけの復旧は、速く・早期に・名実ともに「足もとからの復興」へとしたためてほしい。それには、地域・地方の人格を認めようとしない命名「東日本」は相応しくない。地域性を尊重した、あたり前の命名が必要だ。

この大災害と原発の人災は「東北・常磐大震災」あるいは「三陸常磐大震災」と命名されるべき地域に降りかかっている。「東日本」という「薄ぼんやりとした命名」に、いったいどのような意図が含まれているのか? その理由が知りたい。シッカリとした説明を聞いてみい。