完結編・チャオプラヤ

fm cocoro【大阪から発信している母国語による情報提供fm局。阪神淡路大震災の教訓から通常時においても在日外国人向けに、あらゆる「母国語」で日本国内の生活・情報提供を行っている。局そのものは大阪湾ベイエリア・WTCビル内にある】で、タイ語によるパーソナリティーを長きにわたって続けている旧知の松尾カニタさんに、出かける前いまどきのバンコク事情について聞いてみた。ちなみに、ボクがはじめて行った外国がタイ・バンコク。昭和50年(1975年)5月のことだ。

曰く「もう40年近くも前ですねえ〜、“行ったことにならないくらい変わりましたよ”バンコクはム・フ・フ・・」。彼女はタマサート大学出身の秀才。大阪弁をあたりまえのように駆使する「在日一世」だ。こちらが聞きたいと思っていることの「ツボ」は心得ている。

40年前・・「微笑みの国」・・首都バンコクの町中には、黄色い衣装をまとった若い僧がそこここに立ち、托鉢。多くの生活者は微笑みと共に托鉢に答えていた。そのころ日本はオイルショックを経たとはいえ、高度経済成長のただ中、み〜んな忙しかった。然るに、二十歳そこそこのボクは「へぇ〜、こんな生活もあるんや」と、「微笑みの姿」に感動した。バンコクに流れる時間は穏やかだった。

今回・・驚いた!・・カニタさんの言ったことは大げさではなかった。み〜んな忙しそう。「微笑みが消えている!」衝撃的に違う。こちらの歩く速度より“バンコク人”の歩く速度の方が早い! 車の量といったら、新御堂に国道26号をたして、そのまた上に枚方バイパスをプラス。さらに、阪神高速湾岸線を追加してダメ押し。さらに阪神高速環状線をおまけに差し上げ、その全部を「ひと束」にし、2倍・3倍・4倍・5倍のド迫力。

40年前のバンコク旅行では、たまたまCBSソニー酒井政利さんと御一緒だった。その当時すでに南沙織を育て、この旅行のすぐ後には、山口百恵を世に送り出す、あの辣腕プロデューサーだ。また、飛ぶ鳥を落とす勢い(今日的に置き換えれば、ユニクロといったあたりか?)伸び盛りのダイエー若手幹部も同じツアーだった。これらの「お忙し」の面々も、バンコクのゆったり時間と微笑みに感動し、その感動からか二十歳そこそこのボクにも優しく接してくださった。

あ〜、それなのに、それなのに、ねぇ〜ちょいと・・

カニタさんと、このブログのフォームをデザインしてくれたN君。じつはタイ国政府観光庁の人気ホームページ、テクテク・タイランドで、いま現在のタイの魅力を発信している。バンコクの成長ぶりに驚嘆するか。はたまた、ちょっと足をのばして地方都市の穏やか時間に感動するか。パラレルの魅力を知りたい方は、このブログではなく、テクテク・タイランドを覗いてみてください。きっとお役にたつはずです。