でっかい本屋さん

うわぁ〜でっか。このビルまるごと本屋さんかいな。いったい何冊くらいあるんやろ、この茶屋町ジュンク堂(この店、正確にはMARUZEN&ジュンク堂・梅田店)。弁当持参で「本のピクニック」したら、タダで一日遊べるなぁ〜。現にそんな人もちらほらいはる。

ここは東京資本のシティホテル、東急ホテル東急インにあらず)があった場所や。茶屋町は「阪急村」の真っただ中や。なんでここに東急ホテルが・・と、ホテルがオープンした当時(1980年ころ)は、このジュンク堂と同じで、珍しくて注目の的やったなぁ〜。その立派なホテルを壊して、このビルが新築されて本屋さんがまるごと入った。それで商売が成り立つんかいな? 素人にそんなビジネス計算式はぜんぜん分からん。まぁ、しゃ〜けど、ごっつい本屋さんやわ!

その東急ホテルに、バーを大きくしたような雰囲気のあるパブがあったなぁ〜。あの頃、昼夜2部制で働き、お金を貯め夢を追いかけてた。たまの休み、親しくさせてもろ〜た、ある新聞社の学芸(旅行欄を担当されていた)の記者さんに、ちょくちょくこのパブに連れてってもろた。このホテルのパブに「焼きうどん」のメニューがあったなぁ〜。当時のホテルで「焼きうどん」は、まずあらへんかった。珍しかった。

記者氏いわく「大阪資本のシティホテルもここを見習って、焼きうどんやで。これやったら、サラリーマンでもポケットマネーでホテルで飲める。李ちゃんにもおごってやれる」「東京のホテルが大阪・阪急村に進出するには、ホテルで“焼きうどん”出すほどの覚悟がいるんやで」等々、いろいろ教えてもろた。20も年上の記者さんの蘊蓄にあこがれた。そのいちいちに納得したもんやった。

20代の若造(その頃のボク)はペンション開業を夢見てた。昼夜2部制で得たお金は、とにかく貯金・貯金やった。遊ぶためのお金なんかぜんぜんなかった。たまに誘ってくれはる「焼きうどんでバーボン」は、この記者さんの内ポケットから出てくる、旅の蘊蓄が山盛り詰まったぁ〜る「取材メモ」と併せ、当時のボクには最高の贅沢やった。

数年後、コツコツ貯めた貯金が元手となって夢がかない、琵琶湖にペンションを開業した。あれから30年余。ピカピカ輝いてた東急ホテルは影も形も消え去って、でっかい本屋さんになった。ほんま、びっくりするわ。

しゃ〜けど(標準語で「ではあるが・・」)、人も建物も寿命は短いし、はかないもんやもんやなぁ。 このでっかい本屋さん見てて、そう思うわ。30年後、ココ、どうなってんねやろ