お相撲さんの稽古

もう8年ほど前になるが、千葉の幕張にある阿武松(おうのまつ)部屋の稽古を見学させていただいたことがある。当時の部屋頭は、大阪出身の小兵、十両の古市関。小さな体躯ながら、その立ち会いはむちゃくちゃ鋭く、まるでトンビが木から木へと飛び移るような俊敏と鋭利。大柄の力士なにもするものぞ、と、その気迫は見ていて怖かった。血を流しながら何度も何度も「命を削るような立ち会い」に心血を注いだ。鳥肌が立った。

元関脇、益荒男(ますらお)の阿武松親方は眼力鋭く稽古を指導していたが、稽古を終えると一転「どうぞどうぞ」と、優しく「ちゃんこ」に誘ってくださった。厚かましい小生ではあるが、さっきの今、ガチンコの稽古を見た後で「力士と同席でちゃんこ」は、さすがに尻込みした。そんな様子を見ていた古市関は、「遠慮せんとどうぞ」と大阪弁で横の席に手招きした。また、親方の奥様は元女子プロゴルファー。スポーツウーマンのさわやかさがあって、見ていて頭が下がるほどの甲斐甲斐しさで様々な切り盛りに汗を流されていた。「おかみさん」・・その姿に、自然と頭が下がった。

しばらく前、その阿武松部屋や古市さんが残念にも事件の渦中、当事者となってしまい古市さんは廃業した。あの努力を思い出すたび門外漢ながら、自業自得とはいえ、残念でならなかった。そして今度は、相撲界全体を揺るがす八百長問題。メディアはこの八百長問題を「いま初めて知った。けしからん」と袋叩きだが、それってちょっと都合がよすぎるのでは?

ボクのような素人でも稽古を真剣にのぞけば、相撲がきわめてハードな格闘技であることが分かる。「一年に六場所、各15日間、合計90日間」こんなに長期にわたって戦いを義務付けられている格闘技は他にない。生身のカラダ、持つはずがない。そんなこと、相撲を取材するプロは百も承知だったはずだ。

浮世離れした格好と空間の中で繰り広げられる相撲は、そうであるからこそ、「その様式美」が全般に見てとれるナマがいい。テレビなどで見るよりも圧倒的にナマを見た方が魅力的なのだ。

絶対に不可能な「90日間もの真剣勝負」と「ニッポンの様式美」を一方的に担わせておいて、「相撲のすべてをバッシング」するかのような、この一連の報道はなんだろう。愛すべきニッポンの相撲、その「様式美」の魅力。メディアの皆さんも「それらの関係性」については、よ〜くご存じだったはずだ。

東京の石原都知事のように「相撲など・・あんなものは・・」と、投げやってしまうのは簡単だ。しかし、本当にそうなってしまえば、わたしのような庶民の楽しみが、また一つ減る。大いに知恵を絞ってほしい。「白状しろ!」の一辺倒だけで相撲を消滅させてはならない。「今般の事件」を調査する最高責任者、伊藤滋さんもここは一番、人生最後の知恵を出しきってほしい。貴兄が心血を注いだ都市計画の世界と同様、清廉潔白だけに頼み、相撲を消滅させてはならないはずだ。

「一年を ( )日で暮らす よい男」⇒ 江戸期、土俵に上がる期間が一年のうち「ほんのわずか」で良かったお相撲さんを羨む表現。さて、カッコ内の答えは何日でしょうか? 次のうちから想像してみてください。(1)20日程度 (2)一ヶ月程度  (3)10日以下 (答えは、最末尾) ・・ところが、いまや、この風評では・・「一年の 四日に一度(365日÷90日≒4日)は戦って ボロ雑巾の男たち」と、なりかねない。横綱でさえ。

ガチンコで四日に一回の土俵。そんなこと「戦うロボット」でもなければやってられん!! 身体は持たん!! お相撲さんをスケープゴートにし、日本の制度設計を根底から覆そうとでもいうのか? お相撲さんが「TPPの土俵」に無理やり上がらされたような錯覚さえ覚え、頭くらくら目まいがする。お相撲さんをスケープゴートにしても、しゃ〜ないがな・・

伊藤滋さん。御苦労でしょうがここは一番、貴兄が大切にされてきたという、直に何度か聞かせていただいた「融通無碍の世界」も残してやってください。一相撲ファンからの切実なお願いです。

答え⇒(1)