大分とのご縁

はじめての一人旅は17才のころ。当時の国鉄を使っての2週間、九州一周だった。旅の道中で聞いたクチコミ評判に、予定になかった国東(くにさき)半島を追加、「この旅の最後の地」に選んだ。昭和47年春のことである。

伊美にある国見ユースホステルを起点に巡った六郷満山は、日本仏教への「学」が皆無の17才にも興味深いものだった。多くの石仏群や磨崖仏。行く先々の寺では、それぞれのご住職が、それぞれの個性で、「四苦八苦」などについて「遠慮はいらんから」と、ミカンやお餅などと共に優しく説いてくださった。当時の国東にはほとんど観光客の姿はなく交通も不便。巡る手段はヒッチハイクがあたり前という時代。お寺の歴史と初めて体験するヒッチハイク、その不思議な出会いのすべて、コントラストがとても新鮮だった。

いま考えてみると、それが「行動する旅・体験する旅」との最初の出会いだったような気がする。多くの先生方と2009年に立ち上げた「ものがたり観光行動学会」・・行動する学会/NPOモードの学会⇒会長は、国際日本文化研究センター白幡洋三郎さん・・も、そのような出会いの中にある必然のような気がしている。

その学会がプロデュースし、毎日新聞・夕刊、月曜日の「旅のページ(月・2回掲載)」は2009年春スタートした。この連載の第二回目で、すでに大分を旅した。ところが、この「学会のご縁」。先週また再び、大分を旅した。この様子は3月の毎日新聞・夕刊、このコーナーで紹介される予定だが、人と人との繋がりを連鎖させてくれる大分に旅の魅力は尽きず、いまさらながら不思議なモノを感じている。