戦闘機乗りを目指す年賀状

むやみに増えていた年賀状を2年ほど前から「仕分け」している。個人の人格で送られてくる年賀状以外は基本的にやり取りしない。法人・団体名にちょこんと個人名を記し、一筆「お元気ですか?」と添えられているスタイルの年賀には「ンー」と悩むこともあるが、心を鬼にしてカット。

数少なくなった年賀状の中に今年、いつもの方からの「異色」があった。彼の息子さんは大学を中退し自衛隊関係の学校に入り直した。と、そんなことは直接聞いていた。しかし、毎年・毎年ご両親の横に添えものように佇んでいたヤル気のなさそうな息子さんは今年、姿を大きく変えていた。自衛隊の練習機にパイロット姿で搭乗、機上の覇気のある彼の姿がバーンと大きく紹介されている。そんな年賀状だった。

年末から年始にかけ、日本あるいは大阪の元気のなさを問題視、いつもの年のように新聞・テレビで様々なご進講があった。これ、すでにここ15年の見慣れた風景。ちょっと違っていたのは訳知り顔で「中国、中国」とはやし立てる経済通の姿がやけに多かったこと。なんでもかんでも中国に売りさばけば「儲かる」式のご宣託が、実にうるさい。

東京オリンピック大阪万博。バブルの時代。このような、「即物が身近に存在することだけが幸せである」という報道(故によって、「中国に売れ!」のご宣託となるのであろうが・・)。これらメディアの報道基準(価値の意識)だけが正しければ、いま20歳前後の若者のすべては、この国ニッポンに元気があったころの現実を知らず「不幸」ということになるらしい。大人の価値基準だけで、幼少期から「昔はよかった」式のささやきを聞かされ続けている、というわけだ。

だが、その「ささやき」は若者には響かない。個人それぞれの情報ツールはいくらでも選択が可能。日常生活に困らない十分なモノにあふれている。若者が求めているのは「人は何故生き続けなければいけないのか?」という、この世代の至極まっとうな疑問についてだ。しかし、「喧噪の豊かさ」を忘れることが出来ない大人は、ニッポンの「中国売り」だけを唱え、「昔のような元気さを取り戻せ」と、アホの一つ覚え。

現実を見つめ、それに立ち向かいたいとする若者はことのほか多い。政治や行政はウソをつきすぎている。若者にもっと現実を見せ、近づきつつある困窮(物質的なモノよりも、精神世界の貧困から派生する行き詰まり)に若者の力を、若者の舞台を。

りんりんと覇気にあふれたパイロット姿の年賀状を見て、そんなことを考えさせられた。平和であってほしい。