優しかった高知

お世話になっている毎日新聞の取材で高知市土佐久礼に行った。今回はいつものおっさんコンビではなく、うら若き女性記者との2人旅。現地では「もうひとつの旅クラブ」というNPO法人の活動で、数年前まで大阪の街を歩きに歩いた仲の「O女史」にナビゲートを頼んだ。O女史は旦那の転勤で1年半前に高知入り、街歩きの鍛錬充分、コンディションは万全だ。

O女史お気に入りの木曜市を歩き、鏡川の芳醇な流れに感動し、フランク・チャンピオンの碑を語り、龍馬の軌跡をたどった。翌日も、O女史お気に入りの土佐久礼へ。漁師まち。船溜まりの初老の漁師たちは「魚がとれなくなった」と、嘆きに嘆く。が、その言葉には吸い込まれるような優しがあった。(おっとっと。この旅のブログでの案内はここまで。詳細は来年早々、毎日新聞・月曜日の夕刊紙面をお楽しみに)

ニッポンの背骨のようにそびえる急峻な山並みを越えた高知はスカスカだった。もちろん街に活気はない。しかし取材で受けた印象は、優しかった。皆が皆、優しかった。地域性の優しさか? はたまた、ある限界を超えた時に見せる人情か? 高知の人口減は、20年後、30年後のニッポンの姿。先取りの姿だ。こんな優しさが芽生えるのであれば、衰退も悪くない。

筆山に登り市街地を一望した。高い建物は数えるほど、屋上広告もまばらで空が高く気持ちいい。うっとおしいのは、最近できたという巨大ショッピングセンター。ここだけは近ごろの「日本の決めごと」のような自己主張で醜い。しかし、高知の優しさがその醜さを包んでいるかのようで滑稽でもあった。

安物の自己主張をぶっ飛ばす、高知の優しさに拍手した。なるほど龍馬の街だ!!