ポールスミスの財布

南久宝寺通り。鬼籍に入った横山ノックさんが参議院議員になった丁度その頃までは繊維系を中心に卸問屋が軒を連ね、大阪ならではの猥雑さを醸した。この「船場」の隅っこには、いまも僅かにその時代の人いきれが感じられる商店がある。それが好きで再々この付近に買い物に出かける。

師走、シャッター通りとなったこの街もそれなりに慌ただしい。自転車で雑踏を抜けた。おっとっと、真新しい財布が落ちている。急ブレーキで財布を手にした。高そうな財布・・ 廻りをキョロキョロ見わたした・・ 誰も見ていない・・ で、中身を覗いた・・ ウッワァー!! 萬札びらびらや・・ 「あかん!!」・・ 気を取り直し、近所の派出所に走った。無人・・ 備え付けの電話をコール。東警察署から若いお巡りさんがやってきた。

若いお巡りさんはやおらパソコンを取り出し、財布の中身をチェックしながら入力しだした。最近はオンライン化され、落とし主が「届け出」さえすればすぐに分かる仕組になっているとの由。便利なものだ。で、その入力が続く・・財布はポールスミス(ポールニューマンやポールモールなら知っているが)とかいうブランド物らしい。万札9枚に千円札も何枚か。キャッシュカードが数枚。健康保険証に自動車免許と続いた。と、ここで中年のお巡りさんがホームレスのおっちゃんを引き連れ派出所にやってきた。

ちょこんと座ったおっちゃんは酔っ払っていた。悪さというほどの悪さではないが身元を調べるらしい。「今日は2千円近くも日本酒をあおった」と、おっちゃんは酩酊気味。ところがしばらくして、このおっちゃんが「I手配」の身だということが判明、おっちゃんはショボンとなった。家出人届けを業界用語でこう呼ぶとのこと。問わず語りの取り調べが耳に入ってくる。山形県新庄署からの家出人手配、姉と妹がいてそのどちらかが心配して出したI手配とのことだ。しかし、家出後なんと約10年の歳月らしい。

年齢は58歳・・と、身元が割れたおっちゃんはバツが悪そうだった。事情を聴くお巡りさんは57歳とのこと。どうでもよいが小生56歳。師走に中年も中年の年子が3人。まったく無関係だが、この寒空にふるさと山形を遠く離れた58歳のおっさんの境遇を聞くはめになった。「帰る、帰らんはおっさんの勝手やけど、届が出てるっちゅ〜のは幸せなことなんやで」と、57歳が優しく言った。58歳は黙ってうなづき、56歳の小生は「そうだ、そうだ」と、心の中でうなづいた。

さらに事情を詳しく聞かれるらしく、おっさんはパトカーで東警察署に去った。ポールスミスの財布もやっと入力が済んだ。小雪がちらつきだした。お金がたんまりのポールスミスを見ながら若いお巡りさんとどちらからともなく、「ほんま、人生いろいろでんな」と頷きあった。急にポールスミスのことが腹立たしくなった。