国って、何?

10代の頃、自我の確立は国籍への悩みと同義語だった。答えのない議論に疲れ果てることで「答え」とした。男友達とも、恋愛でも。齢を重ね疲れ果てる議論に逃げる術をおぼえた。だが、けっして「答え」を見たわけではない。

小学校に上がる前、八尾のおばあちゃんの家で親戚中が集まった。そこでは「帰還」という言葉が飛び交っていて、「北に行く」という、威勢のよい親戚の人の「答え」を聞いた。そのころのボクたちは、大人も含めまったく威勢がよくなかったので(いまも同じだが・・)、北に帰ると言う人の「答え」の威勢だけがいいので不思議だった。

借金返し生き続ける。そんな日常に「答え」はいらない。その当時の大人も、いまのボクも。「答え」なんていらない。しかし、「答え」を突然求められる時がある。崩れる平和の前に「答え」を求める声。

映画「血と骨」のラストシーンを思い出す。ビートたけし演じる主人公の最後、ラストシーンは大きなため息で終わる。やっとのことで“北に帰った”主人公の臨終。「答え」は大きな「ため息」、それだけだった。

国って、何?