兼高かおる世界の旅

トラベルジャーナルという旅行業界専門のプロ向け週刊誌(書店では買えない)の取材を受けた。名前だけは知っていた。同じ旅行業界といっても、あちらは超メジャー。こちらは超マイナー、しかもささやかな宿から見た「針の穴」。役に立つんやろか? と、心配が先だった。さらに、事前に送られてきた見本誌を見ると、これがなんともすごかった。旅行業界のことなら「み〜んなお見通し」そんな迫力ある紙面、初見だった。いったい「たぶん日本一小さな宿」の、このオヤジごときに何を聞くんやろ?

記者さんがやってきた。この世界では最近あたり前となっている契約ライターなどではなく、トラベルジャーナル誌のれっきとした編集者。物腰から見ても百戦錬磨のつわものであることが見て取れる。こら、やばいなぁ〜・・

が、さすがに百戦錬磨の記者。こちらが得意とする分野の「こと」をうまく選択してくださって、この方の手のひらの上で誠実に答えさえすれば答えに窮するようなことはなかった。ひと通り取材を終えたころ、逆取材を試みた。「小さな宿をやってる程度のわたしが、見たこともなかったのに、なぜトラベルジャーナルという名前だけは知っていたのでしょうか?」と。

おそらくそれは・・と、説明してくださった。「昭和39年(東海道新幹線が開通し、東京オリンピックがあった年)創刊のトラベルジャーナルは、当時、世界に旅立ち始めた日本人に“兼高かおる”さんらと共に、日本に初めて海外の風を運び込んだ、そんな旅行業界誌です。東京や大阪ではトラジャルという専門学校も経営しています」と。

兼高かおる世界の旅!! 日曜日の朝、いまは無きパンアメリカン航空の提供で始まるこの番組は、小学生のころ一番のあこがれやった。ほぼ毎週欠かさず見ていた。子ども心に「一生のうちで一回だけでえぇから海外旅行をしてみたい」そんな思いで見ていたことをはっきりと記憶している。兼高かおる、である。たぶん、そんな番組の折に触れ「トラベルジャーナル」という名称も目にしていたのだろう。

毎日新聞・夕刊月曜日に月2回、旅の紙面がある。時々出させてもらっている。その編集委員のM記者にこんなことを言ったことがある。「世界旅行の兼高かおるとは雲泥の差やけど、こうして旅の取材に同行させてもらうと、あこがれの“兼高かおる”になったような気持ちでえぇ〜気分やわぁ〜」。例によって一杯飲みながらの会話、M記者は即座に「そんな、えぇもんちゃう、ちゅ〜ね」。

そのM記者とは、明日の朝早くから鳥取県米子市の近く、霊峰・大山(だいせん)に取材旅行。また“兼高かおる”の気分に浸れるわけだ。あぁ〜うれし!!