ユリカモメ

初恋適齢期、就職適齢期、結婚適齢期、ダイエット適齢期、老眼鏡適齢期、引退適齢期・・ 人生にはなんやかやと適齢期らしきものがつきまとう。別段意識しなくても、あとから考えてみれば「あぁ〜、あのころが」と、納得することが多い。しかし、こんな適齢期があるとは思いもよらなかった。介護適齢期だ。

医療技術が進み、「生かす技術」が格段に進んでいることは話には聞いていた。しかし、横たわりほぼ眠ったままの人間という物体(意識がほとんどないので、どうしてもそのように見えてしまう)が、1年近くもそんな風にしていると複雑な気分になる。おまけに一定期間ごとに強制的に転院させられる、ちかごろの医療システムのけったいな決まりごとにも複雑な気分。

輪廻転生。人は天寿を全うし、故に自然に死に、また何かに生まれ変わる。そんな日本的死生観を無意識に思い描いていた。しかし、目の前の“物体”は呼吸と鼓動の装置で生き、栄養の液体注入とそれだけの排せつで人間を演じている。「生きている」というその事実一点では「ありがたみ」を感じる。だが、複雑な気分に変わりはない。

やっと秋らしい気候になって、本日は正真正銘の日本晴れ。いつものように大川(旧・淀川)沿いを散歩。この時期、シベリアからやってくるユリカモメを今年初めて確認した。今年はロシアも強烈な暑さ続きだったと報道されていたので、あり得るはずはないのだが「ユリカモメの越冬は必要なくなる?」と、真剣に考えてしまった。だから、ユリカモメの姿を見てほっとした。来年、桜の季節が終わるまでまたこの白い一団が舞い、楽しませてくれる。

折節の移り変わりが五感に染みいる。自然の営みの「同じことの繰り返し」にホッとし、齢を重ねる。それが命の意味であるように感じる。去年、ユリカモメがやってきたころから入院生活がはじまった。

来年の桜に、ほんの少しでいいから、折節に「ありがたみ」を重ねてほしい、と強く思う。