小さなビルから個性が見える

森ビルというごっつい会社が東京にある。10年ほど前、この会社のトップが「都心部の小規模なペンシルビルは、土地利用の効率が悪く社会悪だ」と、のたまった。こっちとら(突然、しゃべれもしない江戸っ子弁で失礼)そのトップがおっしゃる「ペンシルのような情けないビル(・・ともいえないような小さな規模)」で商売し、家族5人、つつましやかに暮らしもしている。で、腹が立って、朝日新聞・私の視点に「小さなビルから個性が見える」と題し、即座に反論した。もちろんご本人からは反応などなかったが。

その後、このトップの指摘の通り都市政策が変更され、主に東京や大阪の都心部では容積率が飛躍的に大きくなり、それまで建てることが出来なかった所にも超高層マンションが建ち並ぶようになった。大阪都心でも、阪神淡路大震災で全壊した建物があった上町断層(大阪都心を南北に走る活断層)の真上にまで、超高層マンションがニョッキリと建ってしまった。

そこそこ大きな敷地の中で、超高層マンションや商業系の高っかい高いビルや緑が配置され、建ち並び、人が集まる姿は壮観でカッコもええ。しゃ〜けど(大阪一部地域で使われている方言「だが、しかし・・」の意)、敷地いっぱいニョッキリと割り箸が突き刺さったような超高層マンションは不気味だ。こんなことが可能になったのは、都心地区全体を「一つの敷地」と見なして無謀な容積緩和が行われたからだ。緩和指定エリアの中では個々の敷地面積は問わないというわけだ。テニスコート1面程度の狭い敷地に、目いっぱいの超高層が建つようになったのはこんな理由からだ。

あれから約10年。ごっつい会社のトップが言ったように超高層のマンションやビルは増えた。しゃ〜けど、都市の活力や人々の暮らしは「効率」がよくなった分、低下した。大手ゼネコンは建築需要を「先食い」して青息吐息だ。社会悪とまで指摘された情けない小さなビルに効率悪く延々暮らし続けていると、やはり「小さなビルから個性が見える」。

この、ごっつい会社のおっさん・・いや失礼、トップに一度でいいから聞いてみたい。「効率よく暮らすと、いったい何が見えるのですか?」と。