タコヤキ・ヨシモト・タイガーズ

16年前、この小さな宿を古今東西初めて取材してくださった新聞記者がいた。が、その記者が発した言葉にカチンときて、「あんたらみたいに、大阪のことを“タコヤキ・ヨシモト・タイガース”だけのように表現し、記事(商売)できたらそんな楽なことおまへんわな、もっと勉強してきたらどないだっか」・・この記者は根性まんまん、それをそのまま記事にした。その後、この表現は、「コナモン・タイガース・お笑い」とかなんとか・・、順列組み合わせを変えつつ、あっちこっちで使われるようになった。

ひゃー、ようそんなえげつないこと言うてしもたわ。若気の至り。ところが、その記者とは延々、今のいまで仲良くなってすっかり飲み友達。それだけではない。「たこやき」の生き字引、熊谷真菜さん(日本コナモン協会・会長)とも、「ものがたり観光行動学会」を通じて理事仲間。とても親しくさせていただいている。

さらにさらに、一つか二つ前の甲子園球場の球場長には、見学に寄せてもらった際に意気投合し、45年ほど前の九州・飯塚商業が出場したセンバツ大会(春の大会)のことで大いに盛りあがった。選手権大会(夏の大会)第50回の沖縄、興南高校の話でも。球場長もボクも甲子園フリーク、少年期の甲子園が忘れられない。そんなことが重なり「これは、内緒のサービスですが・・」と、なんと!! 甲子園のマウンドにも立たせてもらった。

おもい起こせば・・、なんやかやと議論を吹っ掛け、やりとりするうちに相手方が「こいつ文句を言ってるけど、ほんまは好きやねんな」と、バレてしまい、そのうち「意気投合」することが多かった。大阪の達人たちは面白い。ところがいまは、ケッタイなマニュアル社会が蔓延して、ちょっと議論を吹っ掛ければ「クレイマー」と言われ、へんな目で見られるのが落ち。情けないことこの上なし。残念で仕方ない。遠くて15年ほど、近い話では数年前のことだ。

何もかもが「やりとり不能のマニュアル社会」となってきて、こりゃ、ちょっとヤバイ。やりとりを楽しむ言語としての大阪弁は、この上ない言語(わたしは、流暢な大阪弁しか介せない)。ところがいまは、ケッタイなマニュアル社会。

最近、「けっこう毛だらけ、ネコ灰だらけ、尻(ケツ)の周りはクソだらけ」という、寅さんの口上を思い出すことがある。「タコヤキ、ヨシモト、タイガース・・」、どちらも下品かもしれないが「情」を深めるための品格あるコミュニケーションツールという点では、ここ大阪天満と葛飾柴又は同じ。寅さんがあの世へ行ってしまって久しいが、庶民の中に息づいた智恵も寅さんと一緒にどこかへ行ってしまったのか? 極端なマニュアル社会の行く末が怖い。