韓流ブームの外側で

韓流ブームのピークは去ったのだろうか? この新式のブームやテレビドラマの中身のことは全く知らない。ただし、80年代までの韓国映画の陰影[文末・注記参照]と痛みに綴られた「やや重い偏屈」には共感がある。わたしは旧式の人間だ。まったく同じ理由ではないが、家内も新式には興味なかったはずだ、先週までは・・

80年代にロサンゼルスに移住し、いまもL.Aに暮らすネーティブ・コリアの友人がいる。その友人には家内ともども恩がある。身内の結婚式をニッポンの大阪近傍で執り行うため来日する。と、急に連絡が入り、都合のついた家内だけが関空に走った、27年ぶりの再開だ。誰と誰とが結婚するのか、それは訳あって明かせない。関空で寸借するような時間だけが「とれる」とのことだった。韓国やヨーロッパからも一族が集まり関空に集合するらしい。大阪近傍の教会で一族の有名な誰かと、有名な誰かが、人知れず一族だけで簡素に式を挙げる、と。

朝に出て、「寸借の面談」を果たし、午後には帰ってくるはずの家内が夜になっても帰って来ない。電話が来た、「いま●●の教会にいる。超美人の有名な韓流歌手(新婦)と、韓国若手作曲家ナンバーワンの新郎が●●の教会で結婚式を挙げる。いま二人とも横にいる・・」。息せききった電話だった。大阪の人畜無害のおばちゃん(家内)は、一族が集合した関空で「人畜無害を認められ」一族の長から結婚式へのご招待をいただいたらしい。そんな内容だったが、ボクにはなんのことだかサッパリ? 新婦の名も、新郎の名も聞いたが、興味がないので忘れてしまった。

夜遅く帰ってきた家内は興奮し、しゃべり続けた。新郎新婦と身近に長時間語り合い、触れ合ったらしい。写真にも収まっている。興奮している。ボクには興奮しないのに。「簡素でいてエレガント! ロマンチックやったわぁ〜」と、ロマンチックのかけらもない口調でまくし立てる。「あしたのパーティーにも招待された・・」勝手にやって。

「やや重い偏屈な共感」が今も忘れられない旧式なボクは、家内の新式に対する興奮に圧倒された。「簡素でいてエレガント」、おばちゃんの心をつかむ韓流ブームとは、こういうものか・・。眠りについた家内を確認し、またちょっと意味の違う「やや重い偏屈な共感」を覚え、諦め、眠りについた。これは、新式か旧式か? 眠りの中で夢を見た。

[注記]韓国では1988年に開催されたソウルオリンピックをきっかけにして社会環境が激変した。軍政が民政に移り、戒厳令や夜間外出禁止は無くなって、都市は明るく輝き、文化振興は対外輸出戦略の「イメージ」を担うようになった。映画作品は「生へのカタルシス」(ボクはここに「やや重い偏屈な共感」を感じ、それが消せない)から、文化戦略上の輸出商品になった。同じ「恋愛」がテーマでも、この前と後では人間個々の「立ち位置」が驚くほど異なる。99年の大ヒット作「シュリ」は象徴的な映画。南北関係の緊張を背景に「男女間の普遍の恋愛」がテーマ。ソウルオリンピック以前では考えられない設定だ。こんな系譜の中に、こんにちのテレビドラマを中心にした「韓流ブーム」がある。その「普遍性」はさらに進化を遂げている。しかし一方では、臭くない「鮒ずし」のようでもあり、一般受けする「化学調味料」の味が濃くなったように思う。