別府・鉄輪温泉に人生の楽園

人生の楽園」・・土曜日の午後六時、思わず見たくなるテレビ番組。いったいどのようなネットワークがあって見つけてくるのか? 後半生の「真剣なチャレンジ」や「余生のおかしみ」を多種多様に紹介してくれ興味深い。

昨年春からほぼ毎月、毎日新聞・夕刊(月曜日、不定期)で「旅の紙面」にお付き合いさせていただくようになった。そんなこともあって、(取材では)わたし自身もニッポン各地で不意打ちのように様々な「後半生」に出会うことがある。ただし、テレビ番組とは違い、青春時代そのままに「まだまだ悩みのまっしぐら」という方が多い。もちろん、わたしもそのうちの一人だが。

その「旅の連載」2回目のシリーズは大分・別府だった。何度か訪ねたことのある別府・鉄輪(かんなわ)温泉には、以前から不思議があった。一言でいえば・・「こんなに湯があるのに、なぜにこんなにくすんで見えるのか?」。その案内を買って出てくれたのは、鉄輪温泉を愛してやまない「Kさん」だった。

大阪・堺から別府に移り住んだKさんは、移住者ゆへの優しさと厳しさにあふれた「まち歩き」を地域の人たちと協働で発掘している。それはまるで「歴史がありすぎてくすんでいる鉄輪温泉を、まっさらな視線で照射する行為」に見えた。その「まち歩き」は、驚くほどこなれていて楽しかった。大いに感動させられた。その様子は毎日新聞・夕刊紙面一杯の記事にもなった。

今年初夏、そのKさんと鉄輪温泉で再開する機会があった。元気だったKさんにやや元気がない。問わず語りで「チャレンジ計画」の悩みを打ち明けられた。その内容にはKさんの「鉄輪への地域愛」が込められ、単純明快・素晴らしい! と感じた。だが、自分自身にも同じような経験がある。サラリーを得て生活することと、借入を起こし商売の旗を立てることでは、同じ移住でもリスクの質が異なる。お互い五十代、ついつい問わず語りにチカラが入ってしまい、その後Kさんから連絡が途絶えた。

そのKさんから一昨日、メールが届いた・・その後もチャレンジ計画は何度も頓挫しかけた。しかしあと一歩、あと一歩と歩み続けている。結果はどうあれ、いまはそのような「一歩」を大切にしている・・と。

うれしい便りだったが、ふと我に返った。いま自分自身にとっての「一歩」とは? Kさんのようにタフな一歩を継続させる自信と体力? 鉄輪温泉の湯につかり、いま一度自分のことも考えてみたい。「悩み」の湯気でのぼせるだけか?