「世界史の中から考える」で考えたちかごろの世相

暑い一日がはじまる朝早く、窓を震わせヘリコプターが舞った。うるさくって目が覚めた。あとから知ったが、その日は郵便不正事件の判決が下りる日で、自宅に近い西天満の裁判所上空、入廷する関係者を待ち構え、何度も何度も旋回するヘリコプターだった。なぜこんなに朝早く?  不思議だった。冤罪の被告が無罪となり、大阪地検特捜部の主任検事が「証拠偽装」ともいえる破廉恥を犯し、逮捕され、取り調べを受けるいまとなって(その辺の裏情報も知っていたはずのメディアが)、なぜそんなに朝早くからヘリコプターを飛ばしたのか・・納得する。
この主任検事が犯したことを、ついつい別の視点で見てしまう。いつの時代も、どこの国でも、体制の中に没入し体制の規範だけで仕事をしていると、その体制を守ることが目的化し、人心が乱れ、おかしなことが起こる。ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦がなくなってすでに長いが、新しい国際秩序が発見できないこんにちでは、規範意識の極小化がおこり、身の周りだけが「世界」となっているような現象が多い。つまり・・「手頃な規範を求める人と社会」であふれているわけだ。政治や教育現場もこの中の混乱、そのように見える。
たとえば、派遣という都合のよい制度が最大化された近年のこの国では、若者に就労の機会均等が保障されていない。これは、既得権をもつ大人社会による「若者封じ込め」という、「あってはならない規範」の社会システム化で、若者という「新しい弱者」を政治の側が作り出した「政治の極小化」に映る。
そんなうっとおしい気持ち悪さの中で、62歳で鬼籍に入られた国際政治学者、高坂正堯さんの著書と出会った。「世界史の中から考える」1991年から94年にかけて、月刊誌FORESIGHT誌上に掲載されたものを、96年発行の出版物とし、高坂正堯氏さんの死後にまとめられ発刊されたものだ。五百旗部真氏によるブックカバー・書評によれば、「一つのストーリーでつづった長編ではなく、といって時事評論でもなく、この時代の関心を歴史という知的宝庫にいちど放り込んで、熟成の香りをただよわせて蔵出ししたようなエッセイ集である」と、ある。本当にその通り、世界と日本のことが「ふくよか」で、ホッとする。
いま現実に起こっている社会の混乱を考えた時、20年近くも前、すでにこのような・・「遠近法」で世界を見、語っておられることに安心させられる。高坂さんはテレビ朝日サンデープロジェクト」の初期、この番組に出演されていた。
たまたま朝日放送の知人がテレビ朝日に出向し、このテレビ制作に関係していたこともあり、当時はブラウン管のこちら側から、高坂さんを観察していた。そのころの印象は、「わかったような、わからんようなことを言ってる人」と、感じた。しかし、いま考えれば
  ○うすぼんやりさせながら、信念を語り、ツボを外さない人
だったのか、と、再認識させられる。ちかごろは、
  x信念もないのに、極端な意見だけを述べる人
がテレビに多すぎる。
あぁ〜、ボクもそんな立派な人間になりたい。しかし実態は、よくツボを外して笑われている。まったく、うすぼんやりした毎日である。