イケア大好きの髭じいさん

大阪の湾岸部にイケアの巨大店舗が出来てしばらくがたつ。この近所で、世にも不思議な小さな店を営む髭じいさんは、そのイケアが大好きで店舗の椅子テーブル、皿やコップの類すべてをイケアで揃えている。この、髭じいさんの年代にイケアが似つかわしいと、とても思えないのだが、じつはこのイケア。昭和50年代中ごろ一度日本に進出し、すぐに撤退している。
大阪圏では阪神電鉄青木駅(おおぎ駅)海沿い、レンガ倉庫のような建物を改造しイケアの店舗があった。ちょうど琵琶湖でペンションを開業(昭和57年夏)する前で、安くてデザイン性のある家具を探し求めイケアにたどり着いた。当時は、いまのように家具の海外生産は一般的ではなく、社会全体の「価格破壊」もなかったのでイケアのデザイン性と安さは異彩を放った。はじめてその店舗に入り、家具を手にした時の衝撃は、いまも忘れられない。しかし、そのデザイン性豊かな進み具合があまり早く、日本社会に整合せず、その時代のイケアは間もなく撤退した。
その、青木のイケアで親切な家具プランナーの方にあれやこれと相談に乗ってもらい、ペンション備品一式はここで揃えようと考えたが、あえなく開業資金不足となり、あきらめたホロ苦い記憶がある。結局、京都・北白川の伝統的家具屋さんを知人に紹介してもらい、「あるとき払い」の一括決済という、信じられない条件で一式を購入した。
開業したばかりの、その夏。ボク自身いまとなっては信じられないが、運よく商売が運び、約120万円もした北白川の家具屋さんの支払い。さらに大阪の道具屋筋で、これも一括払いの条件で支払いを猶予してもらった20万円ほどの調理器具類、その他もろもろをペンションの夏、ハイシーズンを終えて、すべて支払うことが出来た。とんでもない綱渡りだった。いまから考えても、やっぱり信じられないが・・
髭じいさんのイケア好きを見ていると、どうしてもあの時代のことがフラッシュバックしてしまう。お世話になった方々の顔と顔だ・・。昔、モノは高かったが、見ず知らず20代半ばの若造にもチャンスを与える「商売人のプライド」は気高かった。商売人に人生の機微を教えてもらった気がする。いま、モノは安くなったが、商売人の機知も安く見積もられ「個人対個人」人間勝負の場面は減った。若者が人生の機微を学ぶ「現場」も減少し、いつでもどこでも手に入るモノがあふれている。
イケア大好きの髭じいさんは、世にも不思議な店を本日も営業中。ただし、なぜイケアが大好きなのか? その点については、やはり不思議が残る。