まちの記憶と観光政策

昨日のブログを読んだ千里ニュータウンの住人から早々、コメントを頂いた。その方は、住宅地計画のプロで、まち開きから約40年の時間経過をこの街と、ほぼ同軸上に暮らしている。プロでもあるが、ファンでもある。その方の説明では・・。この5年間で千里ニュータウンの未来は決してしまい、10年後には、いまの住宅群の少なからずが高層マンション群に建て替わるらしい。

千里ニュータウンが環境配慮のもとに計画され、整備された街であることは昨日書いた。その心は、この街全体が一つの大きな環境思想のもとにあって、個々の住宅棟の一つひとつが、音楽を奏でるかのようにハーモニーの一端を担っているところにある。つまり、「あの地区」「この地区」と、都合よく切り売りして、高層マンションを建て個別と個別の限定的エリアの中で美辞麗句を唱えても、全体としては不協和音になり、結果として、環境の切り売りで終わり、後世には何も残らない。先人の残した環境資源を食いつぶしているようなものだ。「コンクリートから人へ」は、現政権政党のキャッチコピーだが千里ニュータウンでは、まったく逆、「まちの記憶」を排除しつつ「人からコンクリートへ」が、着々と実行されつつあるわけだ。

先の、千里の住人が言うには、「それでも完売すればいいが、人口減と超高齢社会の中で大量供給されようとしている高層マンションが、完売するとは思えない」とのことだった。巨大なゴーストタウンが出現するということか? 「まちの記憶」が大切なことは観光政策についても同様だ。新しいツルツル・ピカピカだけに人が群がるわけではない。しかし、年間で約千万人程度の外国人観光客を、たった10年で、約3倍にも増加させようとする「政策」が大真面目に語られている。こんなに急いで極端な無理をすると、千里ニュータウンだけではなく、日本のあっちこっちにまた、ゴーストタウンが出現しそうで恐ろしい。

「まちの記憶」を無視するということは、「歴史を顧みない」ことにも通じる。また、環境や歴史の営為に勝る「観光資源」はない。古今東西そのような文化的魅力が何よりの観光資源であることは、そのものズバリ歴史が証明している。それらは間違いなく、「こつこつ、ぼつぼつ」としたもので、安物の投資話のように、2倍、3倍などという、ウマイ話はない。このようなウマイ話にのって踊り、バブルが崩壊し、とんでもない目にあったのは、つい昨日のことで、そのような残骸は日本のあっちこっちに残っている。

2倍、3倍などという一攫千金の夢想を根っこにもつ、商売はもろい。どんな客商売もそうだが、観光ビジネスも「こつこつ、ぼつぼつ」が似合う、根気のいるものだ。「♪とんで、とんで、とんで、とんで、とんで、とんで〜〜 まわって、まわって、まわって♪〜〜」の、円広志さんは、昔よく泊まりに来てくださった(琵琶湖でペンションをしていた時代)。この「夢想花」という、大ヒット曲を引っ提げ東京に出て大失敗、無一文に近い状態で大阪に帰って来られた、ちょうどそのころだ。いまは事業でも成功、テレビでは独特の立ち位置を築き、もちろんミュージシャンとしての活動も活発にされている。その、円広志さんが言ってたことを思い出す・・

「人が描いた夢想には、のせられるものやない。ボクの歌(夢想花)にのせられとき」と。