ニュータウンとマンション

この小さな宿がある南森町界隈では、千里万博のころにできた千里ニュータウンに移住した人が多かった。当時、地下鉄が阪急千里線と相互乗り入れし一本で結ばれ、一気に近くなったし、都心の過密問題や都市公害などで「夢の郊外」生活が大々的に奨励されたからだ。
ところが、ここ10年でその様相が激変した。国や地域行政が都心部容積率を緩和して、超高層マンションの建設を奨励し、高い場所で暮らすことに「夢がある」と大宣伝を繰り返してきたからだ。この付近でも超高層マンションが何本も完成して、今度は、郊外から都心にUターンしてくる人が多くなっている。
郊外にある小学校の児童数が減少して大変だ、という話をよく耳にする一方で、逆にこの付近では、児童数が増え校舎が足りず、ただでさえ小さな校庭を切り取って校舎を拡張したりする。人口増加の時代ならいざ知らず、いま人口は減少の一途。これほど極端に政策を切り替えると、町を維持させてゆくコストが思いもしないところでかさみ、また変なことになる。
その、校舎拡張をした小学校では、太陽降りそそぐ大切な大切な南側の全部を拡張に充てたので、秋になると長い長い影が校庭全部を覆うようになった。冬の寒さはなおさらだ。もちろん、当初予定になかった拡張なので美観やデザイン的にもほめられたものではない。
一方、千里ニュータウンでは公営住宅などに膨大な空き家が発生している。UR都市機構(旧・日本住宅公団)などでは、いわゆる公団住宅を、ストック再生と称し、個々の住宅ごとにリ・メイク(お化粧のやり直し)して、「さあ、どうぞ!」と、再利用を宣伝しているが、戸数は笑ってしまうぐらい微々たるものだ。建築系の技術屋さんには、あの時代につくられた「公団住宅の価値」を、よく理解している人がいて、団地全体の空間的な価値を含め「保全再生を工夫して、建て替えすることなく、いまのままで末永く使ってほしい」と考えている人が少なくない。しかし大きな流れは、そうではない。
千里ニュータウンの団地は驚くほど住環境に配慮して初期計画がなされ、配置計画され、低密度に個々の建物が建った。古くても住宅環境が抜群なのはこのためだ。このことは逆に、都市計画や建築基準的には古い建物を壊しさえすれば「もっと高密度に、高層住宅が建つ」ことを意味する。この土地を売り飛ばせば商売になるわけだ。国の住宅政策が「スクラップ&ビルド」では発展途上国と大して変わらない。悲しい・・
衣・食・住のうち、衣と食については「高めあう競争」によって、さらにカッコよく、さらに美味しいモノが誕生する、これは間違いない。ただし、住についての「高めあう」は、そのものズバリ「文字通り」、にょきにょき、にょきにょき、高い建物が建つだけでシャレにならない。あの時代、あれほど話題になった、東京・六本木ヒルズ・・高いだけのシャレは、是非とも東京だけにお任せしたい。東京スカイツリーも建つことやし・・