夢のハワイ、アップダウン、小池清

1964年、東京オリンピックの後年、ペプシコーラがまだ伊藤忠商事の手になる商品だったころ、様々な大衆化が嵐のように吹き荒れた。
言葉こそ「大衆」と冠したが、あまり成功しなかったトヨタ・パブリカ(パブリック・カー、そのものずばり「大衆の車」の意)の後継車はカローラ。そのすぐ前に販売された日産サニーとの販売合戦は熾烈を極めた。ロイ・ジェームスなど、敗戦国・ニッポンの琴線に触れることなく欧米風の顔を多用した販売広告も一般化しだした。1966年ころの話。
大阪の千里で万国博覧会があったのは1970年。ほぼ同時に開発された千里ニュータウンが話題を呼び、水洗便所と寝食分離のダイニングキッチンのあこがれに、核家族の走りも現れた。その後、1ドル360円の固定相場制がニクソンショックによって進化するのは1971年8月15日のこと。ニュースでは日本中がひっくり返ったが、テレビでは大阪の毎日放送が毎週日曜日の夜「クイズに正解して、さあ! 夢のハワイへ行きましょう!!」初代司会者の小池清さんの知的な司会で、「円の価値もあがったし、アップダウンのハワイが身近になった」と、教えてくれた。
提供スポンサーのロート製薬大阪市生野区)は小学校のすぐ目の前にあった。わたしを含め1/3ほどもいたその小学校の在日コリアは、あくる日の月曜日、登校して、「昨夜のブラウン管の中身が目の前にある」ことで、訳も分からず頭の中がいつもアップダウンした。しかし大衆化は、そんな不思議も間もなく飲み込み、さらに大きく成長していった。
国内では、「ひかりは西へ」と、新幹線が岡山へ、広島へと延びてゆきディスカバージャパンの国鉄キャンペーンに旅をした。高松塚古墳発見で奈良が一大ブーム化し、大衆化した富士山の落石で、死傷者多数というのもあったなぁ〜
考えてみれば「大衆化」とは不思議だ。お金と時間と好奇心さえあれば、国というコントロールよりも早く人々は動く。そして何よりよく働く。人は楽しむことが好きだから。お国のために働くのでなない。楽しみたいから働く。あのころ、文化大革命の嵐で疲弊の極みを見た中国が、いま経済大国になり、今年は上海で万国博覧会。大成功だと報道は伝えている。
日本では、いま。お金と時間と好奇心が失せ、大衆が疲弊し、楽しみが減少している。では? 「みなぎる大衆」が育ちつつあるという中国では、これからお金と時間と好奇心を、どのように深化させてゆくのだろうか? それとも国が、まだまだコントロールを強めるのだろうか?   ささやかな観光は大衆のためにある。そうあってほしいと心から願っている。