チュソクのころ

秋夕、旧盆を韓国ではチュソク。幼いころの記憶では「ク」はほとんど発音せず、「チュソ」「チュソ」と言っていた。そういえば、キムチのことは「キ」の発音が、もっと「チ」に近く、「チムチ」のような発音だったように思うが、半世紀も前、幼いころの記憶で定かではない。
お墓参りが中心の日本の旧盆に対して、韓国のチュソクは一族が家長の家に集まりほとんど夜を徹して、先祖の霊に感謝をささげる。お供え物は大きな卓にあふれんばかり並べられ、男は威厳を保ちながら、女は台所でお供え料理の配ぜんをしながら、異国でのチュソクを楽しんだ。特に母方の実家のチュソクは、大そう大勢集まり、にぎやかだったことを記憶している。
そんな伝統的な風景も、一世(韓国で生まれ、その後日本にやってきた世代)がほぼいなくなってしまった近ごろでは、記憶のなかの風物になりつつある。一世バリバリの思考回路しか持ち合わせがなかった母も、父の死後は楽しみだったチュソクを諦めてすでに長く、いまは猪飼野の施設で暮らしている。
将来の不安、商売の浮き沈み、異国での子供の成長、つれあいの自慢やぼやき・・などなど。男の威厳、女の本音にも、半世紀前の日本社会では「生きてゆく確認」のためにも、チュソクはなくてはならない楽しみだったように思う。
そして現代のチュソク。韓国では全国的3連休。ぼくたち、僑胞(キョッポ・・日本に暮らす韓国人の意)は、一世から「チュソクもしない、いい加減な人間には育つな。本国では(しないと)バカにされる」と、いい聞かされて育った。
いま、韓国の3連休「ど・ど・ど・ど〜っと」、日本観光にやってくる本物の韓国人の人・人・人。大阪城天守閣の前あたりでチェックすれば、チュソクをさぼって観光に来た本物の韓国人を、偽物の韓国人でも簡単にチェックできる。なんだか安心してしまう。今朝、自宅前でも大阪天満宮に「朝の散歩」にやってくる韓国人観光客の列を見た。家内も朝食時に、韓国人宿泊者に下手な韓国語でチェックしていた。
そのお客様によれば「最近はどこの家でも、やらなくなった」とのご託宣。偽物も本物も、いい加減*1な人間が増えている韓国のようである・・。

*1:「ころあいの感覚」の意である。