オシッコの許容範囲

齢を重ねると、オシッコの臨界点が著しく低くなる。ビールや酒を飲むとなおさらである。さっきしたのに、また次の臨界点が思いがけずやってくるときがある。そのようなときは、いかに行動すべきか・・
街なかであれば珈琲ショップを探し、駆け込む。ちかごろの郊外地であれば、コンビニやパチンコ店のお世話に。はたまた、大木や草葉の陰、というのもなくはない。ところが、その日は川の上であった。(注・私ではない。念のため)小グループが乗り込んだ、小ボート上での出来事。たとえるならば、ベネチアで大きめのゴンドラに乗ったような感じか。
乗り込む前、さっき用を足したはずの知人が、「あかん、また臨界点や」と、わたしに、せがむような目でアイコンタクト。時間待ちしていた小ボートは離岸直前で、いま一度岸辺のビルに駆け込み「用を足してくる」という雰囲気でもなかった。小ボートの直下には当然のごとく川が流れている・・小グループの幹事役であった私は、臨界点氏を手招きし「小ボートの最後部」を指差した。川は流れている・・
直後、小さな気泡はビミョウな残り香と共に川下に流れ、臨界点氏の危機は去り、顔色が戻った。しかし、船長の目は違う意味で臨界点に達したかのような冷たい目、臨界点氏を臨界点の目が追っている。水に流してくれそうもない・・(流れたのに)ちなみに、付近はすでに夜陰、この情景は闇に包まれていた。きっとそうだったと思う。(言い訳がましい)
大阪は昔、東洋のマンチェスター(煙の都)と呼ばれたが、少しだけベネチア(水の都)とも称された。イタリアのベネチアでは、このような事態にどのような「臨界点マニュアル」が存在するのだろうか?船長の冷たい視線に、世界的観光地の智恵が知りたくなった。