桂南光さんの落語会

朝日放送おはよう朝日です」・・いまも続くこの番組はこの「小さな宿」にとっても記憶に刻まれたテレビ番組。
もう30年ほども前、「20代のボク」は当時ブームとなっていたペンション開業を夢に描き、昼は酒屋で配達、夜はパブレストランのウェイターとして、必死で開業資金を貯めていた。その夜の店、阪急グランドビル30階にあった宝塚ホテルが経営する「ロビンフッド」は、グランドピアノがあって毎日ピアノ演奏があり、手軽でくだけてはいるが、それなりの気品があり社交場としての人気があった。
本当に多士済々のお客様がいた。そんな中に毎週月曜日、一人でやってくる「業界人風」の人がいた。月曜日のピアノ演奏者J子さんが目当て、やってくると必ずピアノカウンターに座る。J子さんには花束も用意されていた。3ステージあったピアノ演奏の合間には、必ずフレッシュオレンジジュースをJ子さんのためにオ—ダ—し、我々バイト君とは違う世界を醸し出した。
フレッシュオレンジジュースは一杯800円。バイトの時給は24日以上出勤の「皆勤手当て」を含めても700円がやっとだった。月曜日はいつも、この「業界人風」がオーダーするフレッシュオレンジジュース800円を横眼にした。半年も経っただろうか。ある夜、急用でJ子さんが休んだ。ケータイのない時代、いつものようにやってきた「業界人風」は、残念そうにはしたが一呼吸入れた後「いつもバイトに入っているようだけど、学生?」と声をかけてくださった。
ボクは、ここぞとばかり早口で3年後の計画を口にした。なぜなら半年の間に、その「業界人風」が、「おはよう朝日です」のディレクターで、番組制作の中心であることを知ったからだ。

  • 3年後のペンション開業を夢見ての貯金生活であること
  • 計画地は琵琶湖
  • お金も地縁もないので開業の暁には・・「これも何かの縁、取材に来てください」

などと、まくし立てた。ディレクターのM氏は、ニコニコと聞いて下さった。(これ以上、この話をすると延々と長くなるので中間省略)
それから3年が経った27歳の夏、どうにかこうにか計画通りペンション開業にこぎつけた。M氏は3年前の約束を守り、「ペンションの開業風景」を2泊3日の行程で取材に駆けつけた。(同・中間省略)
桂南光さんは、その当時「桂べかこ」という名前で、この番組「おはよう朝日です」の名物コーナーを担当されてた・・
そんなこんなで、南光さんとのお付き合いも、もうずいぶんとなる。(同・中間省略)
昨年から、河内長野市にある短大で「観光」を教えている。(同・中間省略)
「人に楽しんでもらう」ことの意味やリアリティーについて、南光さんに相談した・・学生らが、チケット販売を含め当日の落語会のすべてのサポートを行い、自分たちで責任をもつ。そんな落語会が出来ないかと・・(同・中間省略)
南光さんは快諾をしてくださった。
昨年は短大内で実施したが、かなり遠方からの参加者もみえ、ご高齢で足の不自由な方も多かった。で、今年は足の便が良い、南海高野線・北野田駅前スグの小さな会場「堺市立東文化会館・フラットホール」にした。11月7日、日曜日、午後1時30分の開演(開場は30分前)たった200人程度しか入らない小さな会場、アットホームな落語会だ。
ささやかだが、米朝事務所のホームページにも紹介してもらった。米朝事務所ホームページで「落語会案内」「11月」をクリックすると11/7の、この落語会が、小さく小さく案内されている。これから学生らとビラまき、チケット販売に精を出さなくてはならない。