琵琶湖の上で考えたこと

日本ではここにしかないらしい「湖の有人島沖島に出かけた。一般的には、湖東の近江八幡市から定期連絡船に乗り、島に渡るのだが、この日は、湖西の大津市堅田から友人のセーリングボートを仕立てヨットでの上陸となった。
23フィートの小型ヨット、風が無ければエンジンも使うし時間もかかる。この日、午前中は北の風が「そよそよ」と弱く、セールに受ける風の力と5馬力のエンジンで2時間もかかった。
ほぼすべてが都市化されてしまった南湖(琵琶湖大橋より南側の琵琶湖の総称)に比べ、琵琶湖大橋より北の北湖から見渡す風景は1000m級の比良(ひら)の山並みが屏風のように連なり、水平線と化した湖面が何処までも、どこまでも奥へ奥へと続き、行き着く先の陸地が見えない。海のようで雄大、淡海(おうみ・近江)とは本当にうまい表現だ。しかし、ホテルレーク・ビワ(昔、琵琶湖大橋東岸にあったホテル)跡の新しくできたショッピングセンターは、湖面一杯に翼を広げた巨大倉庫のよう。西岸に目をやれば、JR湖西線小野駅付近、国道161号がもっとも琵琶湖に近づくあたりでは、紳士服屋さんの目をむく青い看板が強烈に目を射す。
それらはまるで、「屁」の臭さのようにいつまでも消えず、目にまとわりついてくる。「大きければよい」というものでもなかろうに・・。滋賀県では、一定の景観的規制・誘導は「ある」と聞いているが、こんなにおどろおどろしい風景を湖面から見せつけられると、規制・誘導の「力弱さが痛々しい」
水辺のすぐそばの生活が見て取れる、北湖の日本的で気品のある風景は、わけても高島市の例が、「ニッポンが誇るべき風景」と、世界的に評価を受けている。それは、消費と循環のサイクルに人の暮らしも委ねてみよう、というものだ。高度成長の時代であれば、のけぞるように驚嘆したかもしれない「屁」のようなシルエットを、ゲップが出るほど見せつけられた。「屁では、未来が描けない」の一語に尽きた。
帰りは一転、台風の影響で南寄りのナマ暖かい強い風が吹き出した。沖島からはアビーム(風を真横から受けてセーリングする状態)で一直線、堅田までたった1時間で戻ることが出来た。行きはエンジンを使用して2時間。帰りは風の力だけで1時間。琵琶湖が見せつけてくれた無言のチカラは、悲鳴のように感じられた。